平等と公平

こんにちは!トレジャーワークスの村上です。

よく風刺画といいますか考え方や人の本質をイラストにしたものがあります。皆さんもどこかできっと見たことがあるのではないでしょうか。有名なものですと本と壁の絵です。人が3人壁の方を向き並んで立っています。壁には花畑の絵が描かれています。しかしこの壁を見ているのは3人の中で1人だけなのです。なぜなら他の2人は積み上げられた本の上に立っているからです。そのうちの1人はやや高く積まれた本の上に立ち、壁の向こう側を見ています。壁の向こうには花畑とは真逆の荒廃した世界が広がっています。さらにもう1人はとても高く積まれた本の上に立っています。この人にはその荒廃した世界のさらに遠くに太陽が昇ろうとしているのが見えています。要約しますと知識を蓄えない人には見せかけの快楽や偽の幸せしか見えず、人並みに知識を得ることで今度は世界の悪い部分が見えてくる、しかしさらに知識をつけることでその世界にも希望や本当の幸せが見えてくるということです。

そしてこのタイプの絵の中に、平等と公平をテーマにしたものがあります。今回は2つご紹介したいと思います。まず1つは野球場に入れない子どもの絵です。野球場で試合がおこなわれていますが、お金の無い貧しい3人の子どもたちはチケットを買うことが出来ません。その為木の柵から覗くように中を見ようと試みます。しかし子どもの背は1人が高く、1人は中くらい、1人は小さいため、中くらいと小さい背の子どもは中を覗けません。そこに木箱が3つありました。これを足場にすれば中が覗けるかもしれません。ここで平等と公平の違いが現れます。まずは平等に木箱を分けた場合です。平等とは「全てのものが一様で等しいこと」なので、1人に1個ずつ木箱を割り振ります。しかし小さい背の子どもは木箱を使っても中を見ることが出来ず、反対に大きい背の子どもは持て余してしまっています。これでは全員が楽しめているとは言えません。次に公平に木箱を分配した場合です。公平とは「かたよらず、えこひいきのないこと」なので、全員が中を見れるという目標を達成するためには木箱を上手に分配します。小さい子どもに木箱を2つ、中背の子どもには1つ、背の高い子どもは木箱を使わなくても中が見えるので0といった風に分けます。これで3人とも中が見れるようになりました。2つ目の絵はより単純です。1本の大きな木があります。人間はその木の前に動物たちを集めました。動物の種類はライオンやサイ、ウマ、サル、サカナ、カエル、トリなど様々な環境で暮らす生物たちです。そこで人間は言いました、「能力を測るためにみんな平等に同一テストをしてもらいます。この木に登って下さい」と。勿論木の登るのが得意な動物もいれば木に登れない動物もいます。この平等なテストではその動物の特異な事は分からない上に、木に登れないという評価だけしか残りません。

如何でしょうか。ここで伝えたいことは決して平等が悪であると言いたいわけではなく、全ての人が同じ待遇や評価、環境で満足は出来ないということです。人の多くは自分が満足している状態から敢えて脱却するということはしないでしょう。もしかすると他の人がもっといい環境にしようと努力することを自分の安定が崩されると思い良く思わない人もいるかもしれません。つまり考え方や環境を1つに固執して自分を諦めないでいただきたいということです。サカナに木に登れと言ったって無理なように、自分にはどうしてもできないことだってあります。しかしそれ以上に出来ることの方が多いはずですし、視界を拡げてみると沢山のことに気づくことが出来ます。前述の木登りテストのように他者からの評価ではそれに気づけないこともあるので、やはり大切なことは自分を良く知ることだと思います。公平な視点で自分も周囲も見ていきたいですね。

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